ルチャ・リブレのレジェンド、ペロ・アグアジョ
ルチャ・リブレのレジェンド、ペロ・アグアジョことペドロ・アグアジョ・ダミアンの人生
ペロ・アグアジョを忘れることなんてできません。ふさふさの毛のついたブーツ。額にいくつも走る傷跡。有名な必殺技の“ラ・ランサ・サカテカーナ”や“ラ・シジャ”。死後何年たっても、ペロ・アグアジョを忘れることなんてできないんです。
ペロ・アグアジョは、ルチャ・リブレの最も象徴的なルチャドール(プロレスラー)のひとりです。1946年1月18日、サカテカス州ノチストラン・デ・メヒアで生まれました。ルチャドールになる前は、靴屋、パン屋、ボクサーなど、さまざまな職業に従事していました。
ルチャドールとしてデビューしたのは、1970年5月10日、トレーナーはエル・ディアブロことクアウテモック・ベラスコでした。1975年には、サントと試合をしました。この試合で、ペロ・アグアジョはサントのマスクを破るなど、荒々しく乱暴なファイトでサントから勝利をもぎ取り、一躍有名になりました。
ペロ・アグアジョは、サント以外にも、多くの偉大なルチャドールのマスクを脱がせました。例えば、ストゥーカ、マスカラ・アニョ2000(プラサ・デ・トロスで行われたAAA(*)の第1回トリプレマニアにおいて)、テハス・レンジャーズ(リンゴ・メンドーサとタッグを組んで)、コナン、エル・グロボ・ウマーノ、ディアブロ・ロホ、ブラック・パワーI&II(ビジャーノIIIとタッグ)、エル・デセルトール、オンブレ・モンターニャなどです。ペロ・アグアジョ自身は、ルド(ヒール)のこともテクニコ(ベビーフェイス)のこともありました。
コナンとのタッグは、AAA史上最も有名なタッグだったといっても過言ではありません。特に、ロス・エルマーノス・ディナミータ(シエン・カラス、マスカラ・アニョ2000、ウニベルソ2000の3兄弟)とはライバルとして、多くの名試合を残しました。
サントやブルーデーモン、ミル・マスカラスのように、ペロ・アグアジョも「ロス・フスティシエロス」や「エル・アンヘル・デル・シレンシオ」などの映画に出演しました。
ペロ・アグアジョの引退は2001年で、最大のライバルのひとりだったウニベルソ2000とサカテカスで引退試合を行いました。残念なことにこの試合に負け、坊主になりましたが、負けず嫌いな性格のため、リベンジを要求しました。今度は息子のペロ・アグアジョ・ジュニアとタッグを組んでシエン・カラス&マスカラ・アニョ2000組と髪切りデスマッチを行い、ペロ・アグアジョ親子が勝利しました。
ペロ・アグアジョの息子のペロ・アグアジョ・ジュニア(またはエル・イホ・デル・ペロ・アグアジョ)ことペドロ・アグアジョ・ラミレスも非常に優れたルチャドールでしたが、残念なことに、バハ・カリフォルニア州ティフアナで行われた試合のさなかに35歳でなくなりました。
(*)AAA(トリプレア)はメキシコのプロレス団体
(メディオティエンポ)