ルチャ・リブレの青い伝説:ブルー・デーモン


ブルー・デーモン
Luchador Blue Demon en Blue Demon y las invasoras (1969) by Tania Victoria/ Secretaría de Cultura de la Ciudad de México / CC BY 2.0

 ブルー・デーモンは、メキシコのプロレス“ルチャ・リブレ”の黄金時代を築いた、ルチャ・リブレを象徴するプロレスラーのひとりです。

 本名はアレハンドロ・ムニョス・モレーノで、1922年4月24日、ヌエボ・レオン州のビジャ・デ・ガルシアで生まれました。(出生届が提出されたのはコアウイラ州のロドリゲス)

 アレハンドロ少年は、小学校4年で学校をやめ、父親の農作業の手伝いをするようになりました。しかし、仕事は長続きせず、10代になるとバンド活動をし、トロンボーンを演奏するようになりました。

 アレハンドロはその後、モンテレイで一旗揚げるために、家族と住んでいたリンコナーダという村を離れました。僻地のリンコナーダとヌエボ・レオン州の州都モンテレイでは雲泥の差があり、モンテレイには未来があるように感じたからです。

 モンテレイでは、日雇いで農作業をしたり、機械工の助手をして働きました。そのころ、プロレスラーのローランド・ベラと知り合い、ローランドの紹介でルチャ・リブレの世界に入りました。

 3年間のトレーニングを経て、1948年、アレハンドロはトスコ・ムニョスというリングネームでデビューしました。さらに同年、青い衣装と青いマスクに身を包み、ブルー・デーモンと名前を変えて、リングに登場しました。

 その後、ブルー・デーモンは、メキシコのプロレス団体EMLL(現在のCMLL)に加入するため、モンテレイからメキシコ市に移り住みました。EMLLの興行では急速に頭角を現し、1949年の新人王になりました。

 また、ブラック・シャドーと知り合い、固い友情で結ばれた二人は、リングでもコンビを組んで戦いました。1952年、サントとブラック・シャドーのマスカラ・コントラ・マスカラ(マスクをかけた試合。負けた方がマスクを脱ぐ)で、サントが勝利しました。ブルー・デーモンは、兄弟分のリベンジ・マッチをしてサントのマスクをはぐと約束しましたが、実現はしませんでした。

 ブルー・デーモンとサントは、現役時代に何度も対戦しました。ある対戦では、ブルー・デーモンが1ラウンドと2ラウンドを連続して取り、それにより、NWA世界ウェルター級王座決定戦の出場権を得ました。決定戦では、サントから王座を奪取しました。

 現役時代のブルー・デーモンは、マスカラ・コントラ・マスカラでマテマティコとラジョ・デ・ハリスコ(共に80年代のルチャ・リブレを象徴するプロレスラー)に勝利しました。また、カベジェラ・コントラ・カベジェラ(髪の毛をかけた試合。負けた方が坊主になる)では、スコルピオとカベルナリオ・ガリンドに勝利しました。俳優としても活躍し、25本の映画に出演しました。

 ブルー・デーモンは、2000年12月16日、心筋梗塞で亡くなり、メキシコ州ナウカルパン・デ・フアレスの墓地に埋葬されました。

(メディオティエンポ)

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